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29 なんて青い空に爆ぜそうなつぼみたち小学校の桜の庭の 「青い空に爆ぜそうな」のは、校庭の桜の蕾でしょうか、それとも桜の校庭で遊んでいる小学生たちでしょうか。 倒置法には疑問があるものの、「青い空に爆ぜそうな」は良い表現だと思います。(るか) 視点が一番何処を見ているのだろうかとおもいました。 青空を歌う一首、蕾を歌う一首、小学校の庭を歌う一首、と連作にしないと、この一首 だけでは薄っすらと消えそうな写真のようです。つぼみたちは小学校の庭だからい いのかなとも思いますが、校庭のさくらにして青空を丁寧に描写したら春日の長閑さやあ かるさがもっと伝わらないかと思いました。爆ぜそうなつぼみを歌うならつぼみの描写 をもっと丁寧にして「なんて」や「小学校の桜の庭の」を工夫すれば言葉が埋められないか、 と考えました。 (mohyo) 私にとっては絶妙な終了の仕方だと思えた。青空の下の桜のつぼみと春休み で静かな校庭は似ていて、やがては満開の花になる桜と、子どもたちのにぎやかな生 命感に躍動するだろう4月の校庭の対照が面白かった。この倒置によって終わること で(言葉としての未終了の感覚で終わることで)、何かしらの余韻とともに画像が想 像でき、つぼみ一つ一つが子どもたち一人一人であるようにも思えた。「爆」の字 の感じも心地よく、ポップコーンのように開く花と駆け出してくる子どもたちのよう にも感じられた。ここからは多少無理があるかもしれないのだが、「青い空」とこと わっている感じが逆に、紅潮した人肌のような桜色が、すぐにもこの青空を一瞬にし て塗り替えてしまうような、そんな景色が見えたりもした。(黒田康之) 30 散りて散りて散りてをんなを棄つるごとうすくれなゐの霊(たま)吐くさくら 散りて散りて散りてと字余りで入って、3回散るを繰り返して、散ることををんなを棄てるというスリリングな 行為にぶつけた後、霊吐くという消耗感で締め括っている力作ですね。濃厚な香水のような歌だと感じました。 爛漫の桜が散るエネルギーには、霊吐くという言葉が似合っていると思います。 (長谷川径子) 「〜て〜て〜て」とするのは「をんなを棄」ててゆく段階を表現しているのか もしれませんが、初句の字余りが効果的だとは思えません。 桜の散るさま、女が女を棄て続けるさまを 、「うすくれなゐの霊(たま)吐くさくら」とするのは、あまりピンと来ないのです。そんなにも棄て てしまうのならば、「うすくれなゐの霊(たま)」なんて吐かないような気がするのです。 棄てたくない、でも棄てなければならない。そういう心のせめぎ合いの中にこ そ、「霊(たま)吐くさくら」が活かされるように思います。 (ほにゃらか) さくらがはなびらを散らすことが、うすくれないの霊を吐くことだと、そして それが女を棄てるようだということなのでしょうか。「散りて」と「をんなを棄 つる」と「霊吐く」の関係がよくわかりません。実感としては、散っても散って も女は棄てられないです。女を棄てるようにうすくれないの霊を吐くのは言葉と しての意味はわかりますが、感覚としては理解できません。ただ「うすくれなゐ の霊」という言葉は女性性を連想させるかも知れませんね。(やすまる) どのような状況で作歌されたのかわかりませんので、作品からのみ感じたことを 申し述べますことお許し下さい。 散りて散りて散りてと不安定ないいまわしから何事ぞと次に目をやるとをんな を棄つるごとというので、花が女性で幹を男性としたのかと思って、 次ぎに目をやるとくれなゐの霊吐くさくらで、何か変だと思いました。 もう一度読み直して、をんなを棄てることと理解しました。 「散りて散りて散りてをんなを棄つるごとうすくれなゐの」は、大衆演劇のセリフの ようでなじめませんでした。私の場合、男だからとか女だからと発想したことが無いから だと思います。自分のアイデンティティを棄てるというのが理解できないので す。なお、大衆演劇は嫌いではありません。 (mohyo) わざと、ぞんざいに桜を扱ったところが眼目なのでしょうが、 はたして成功しているのかどうか。(村田馨) 31 風すこし冷たくなってくる夕べ<水晶湯>へと花は流れて 花は流れて花筏。そのイメージから銭湯への移行は(水の流れ繋がりで)まあ 無理はないとはいえ、何故「桜の花」である必要があったのか? <水晶湯> という固有名詞に必然性があったのか?「水晶塔」への読み替えを期待している とも思われず、漠然とセンチメンタリズムのみ残る。新奇な表現を求めるには、 「桜」はあまりにも難しいお題だなぁ。。。 (誰鬼) この歌にはクールでドライな抒情が流れているかと。水晶湯をあえて鉤括弧で くくったのも、銭湯(温泉?)というより、水晶という言葉から受けるシャー プで硬質なイメージを強調する為かと思われる。桜を詠むと情念の世界にハマ りがちになるものだが、この作品にはそうはいかない情感があっさりと詠み込 まれて、なかなかいいセンいけると思う。(倉益敬) 水晶湯とは○○の湯とか××の湯とか名づけられた湯場が仕切られて 設けられた温泉などの名称の一つなのか、或いは仮想して名づけられた 名前なのか、何れにしても美しい組合わせですね。透き通る水晶と薄い 花びらのさくらが相呼応して透明感があり抒情詩のような感覚をおぼえ ます。それぞれの好みでしょうがロマンテイックに流れすぎたかとも・・・。(上村霞) 風すこし冷たくなってくる夕べ”を話し言葉のようでなく、 冷たくなりしとか落ち着いた言い回しの方が「<水晶湯>へと花は流れ て」がいかされないでしょうか。「水晶」ですが、本物の水晶ではなく、湯の名前なのでしょうか。 イメージが本物というより理科の岩石見本のような感じがしました。 お風呂だからだと思いますが、夢がなさ過ぎと気づきました。ごめんなさい。 一昨日、一瞬の風が吹き、桜吹雪をみました。あのように花びらが水晶湯に流れれ ば、真っ白な花びらをかき分けて入ってみるのも楽しそうです。(mohyo) 桜と水晶の取り合わせが着眼点なのでしょう。<水晶湯>は旅先の温泉か何か かと思います。そのネーミングの無機質さといろいろ背負う桜の花がミスマッチにもかかわらず、 光景として美しかったのでしょう。(村田馨) 下の句の〈水晶湯〉に花が散りかかる様子が、上の句の風の冷たさに実感を与 えています。語の選択も清潔でいいです。(はるのくるみ) 32 ゆっくりといつの間にやら満開にさくら一樹は力漲る 何の衒いもない、素直な歌です。桜が開花するペースを描写することにより、力漲る様子が無理なく伝わってきます。 (るか) 「さくら一樹は力漲る」にとてもリアリティがあると感じます。花見の名所に 行った帰りの曲がり角にまだ細いさくらの樹が満開で「ああごめんね。あなたの精一 杯の咲きかた今気がつきました。」 そんな経験を思い出しました。 (mohyo) 33 店の名はタトウマニアと描きてある出で来し女の肌の花思(も)う 店から出てきた女の肌に描かれたタトゥは遠山桜に違いない、と私が思ってし まったのは、お題が「桜」だからです。お題が「桜」でなければ、薔薇とか百合とか、もっと別の花を イメージしたかもしれません。「女の肌の花思(も)う」という表現ですが、女の肌に「花」が描かれている のを目で見て、その花について何か思うところがあったのか、女の肌に「花」のタトゥがあるに違いな いと想像しているのか、そのへんがいまひとつ分かりにくいと思います。 素材は面白いです。(ほにゃらか) はじめ、作中主体は店の名を見て女の肌に刻まれた花のタトゥを想像(妄想?) した、のかと思って、ここにない花を(女も)歌の中で生みだしているんだと 面白く思ったのですが、読みまちがいですね。「女」は想像の中にいるのでなく、 店から出てきたのですね。でも「花」は想像しているのでしょう。(やすまる) 刺青といわないでタトウなどというとまやかし文化のような気もします。私が 面接した少女は清らかな清潔感があった話を終わらせようとしてふと目をやると制服 の少女の白い細いうでに蛇のようなタトウが見えた。「よしこいや!」と心で思 いなにもいわずに面接終了。多分タトウまがいを張っていたのではなかっただろうか。 紺のきれいな制服白いブラウスの奥に見えたときは衝撃でした。長々と書きまし たがタトウマニアの店から出てきただけで女の肌の花などを想像なさるのはなんか 発想がありきたりかな。女の肌に自分と同じタトウを入れさせて今日から二人くら いの脚色はしてもいいような? (mohyo) タトウから桜の入れ墨と想像するかというと、いささかずれているように感じ ますが、店から出てきた女性の肌の白さ、きめこまやかさから、作者は桜が似合うと思 ったのでしょう。ひねりを利かした面白い作品。(村田馨) この作品は読み取りようによっては軽くヤバイところがある。 今でこそ入れ墨(このほうが馴染みやすい)のことを、タトゥなどとファッション感覚でオシャレに語っているが、昔はモンモンとか言っていた時代もある。その頃の彫り師は、刺青に必ず自分の銘を入れていた。たとえば、彫よしとか、ホリケン(これは違うか)とか、刺青天使(これも違うか)とか。であるからしてからに、この歌の女の肌に店の名の「タトゥマニア」と彫ってある可能性が、伝統を重んじる彫り師ならば、かなり高いと言う事なのである。 (倉益敬) 34 いつしらにさくらちりやみ辻角の石に人形(ひとがた)うきいづる夕 作者は降りしきる桜のなかにいたのですね。身に浴びる桜に酔うように。 風がぴたりと止まり散りやんだ桜に、ふと逸らした視線の先へ人形(ひとがた)が 浮きだす。ああ、かわたれ時なのだと目を凝らしてる様子が見えます。 「辻角の石」がちょっと説明的というか、もたつきますが、全篇に流れる静と動、鮮やかな桜吹雪がしーんとした人形(ひとがた)世界へ。 と、怪しい雰囲気をかもし出してます。 前半桜吹雪の動の部分がひらがなばかりというのも効果的ですね。 気品ある一首です。 (みずき) 降りしきる桜にしろやかにかすんでいた石の模様が花が降り止んだ時に はっきり人の形に見えたという場面なのだと思いました。こんなふうに散文で 言うとまったくこのお歌の魅力が削がれてしまうとは思いますが。 この人形があたかも石から抜け出し、美しいあやかしとして小路を徘徊するよ うな雰囲気を感じさせられました。辻角というのもこの世のものとこの世ならざる ものの交差する場所というイメージを受けますし。また、初句の「いつしらに」が このお歌の導入としてこのうえなくふさわしく、うまく言えませんがこの言葉 以外にはありえないように思いました。(萱野芙蓉) 「さくらちりやみ」は、全部散ってしまった後という意味でしょうか。風がと まって、一瞬さくらの散るのがおさまっている感じでしょうか。 「辻角の石」「人形うきいづる」「夕」など、情報量は多いのですが、私には イメージが伝わってこないです。 このお歌も、桜とあの世との繋がりで、石に人形が浮き出たホラーかとも思え ます。辻角の石に桜の花びらが貼りついて、それが人形の模様のように見えるという話にも見えますし 、桜吹雪の中では見えなかったが、散りやむと、もともとあった石の模様が見えたというようにも見え ます。「夕」は目の錯覚が起こりやすいという「逢魔が時」の常套的な流れのようで、要するに何が詠 いたかったのか、私には分からないのです。(ほにゃらか) 「しずごころなくはなのちるらむ」のように春日を浴びてさくらの散る中にいた作者。 静だけれど落ち着かない。気が付いたら夕方になり月も出ていたのだろうか。 まだ少し太陽が顔を出していたのだろうか辻角の石に人形の影が見えてきた。自分 の影だろうかそばにいる人の影だろうか。ふとわれにかえったようなそんな気分 かなと思いました。辻角にある石ですが大きな石のような気がします。 (mohyo) 初句の「いつしらに」は、いつの間にかという意味でしょうか。短歌ではよく使われる言葉でしょうか。 きれいな言葉だと思いながら、この意味を掴みかねています。全体としては、風の中、散っていた桜が散りやんだとき、 辻角の石碑のひとがたが浮かび上がったということでしょう。日常に戻った静けさ。 (近藤かすみ) 桜のもつ妖しさが感じられました。(瑞紀) 35 春日中さくらの香り深く吸ふひるむは吾の老ひ言上げしのち 桜の香りを深く吸う行為は、つくづく贅沢なことだと思います。 作者の幸福感が伝わってきます。また、下の句からは、老いの辛さも伝わってきます。 ただ、ひるんでいるのが、老いている(という設定の)作者でしょうか、桜でしょうか、それとも第三者でしょうか。 そこが分かりにくいのが残念です。あと、蛇足ですが、「老ひ」は「老い」、「言上げし」は「言挙げし・言揚げし」が正しい気がします。 (るか) 36 さくら花堤にあふれ咲く午後の犬の歩みはわが影に添ふ 春になれば、普段は人通りの少ない散歩コースにも、桜に誘われてたくさんの 人が集まってくる。その変様ぶりに飼犬もすこしばかり不安を覚えている……、 ように飼主(作中主体)には感じられたのかもしれない。「われ」でなく「 わが影」に添っているのが良い。そこから犬の微妙な変化に気付いている飼主 を読み手はイメージするし、さらには、この犬はもっと飼主に寄り添って歩き たいのに不安感を隠して強がっているのかも……、と犬の性格へとイメージは 膨らむ。つまり、飼主と犬双方のリアリティーが増し、作品のドラマ性が増す。 ただ僕なら、下の句は「犬の歩みのわが影に添ふ」とする。(伊波虎英) 主観を排した描写は自然体で無理がなく、春の午後の穏やかな 雰囲気が心地よくかもし出されています。さくら花、堤、犬と揃い すぎているかな〜とも思いますが・・・。(上村霞) http://www9.ocn.ne.jp/~masa719/wagayano-niwa.htm 岐阜県のメルトモさんから送られてきました。さかいがわに沿ったさくらです。 犬を連れている人運動をしている方もたのしそうな川沿いです。人の数がちらほら でいいなと思います。このお歌も込み合った場所ではなく長閑な花堤ではないで しょうか。 (mohyo) この午後の堤はひと気のない場所をイメージしたい。犬にはわかるのである。 あふれ咲く桜の放つ何かが。だから飼い主の影に隠れるようについて来るのである。 (大塚寅彦) 37 根のきはにあまた幼虫ねむらせて悲鳴のごとくさくらひらけり 「桜の根元には死体が埋まっている」…誰が言い始めたのかは知らぬが、 単なる耽美式文法だと思っていた。ところが先日、新聞のコラムで 岡野弘彦が東京大空襲の夜、満開の桜が立ったまま燃え上がるのを見ていた、 という体験談を読んだ。文学的表現をさっ引いても、それでようやく納得がい った。 ただ、「ねむる幼虫」と「悲鳴」の因果関係がもうひとつ、はっきりしないの だが…? (誰鬼) 桜というと死霊などと結びつくイメージが強い中、この歌はもっと現実的なこ とから桜を擬人化し、「悲鳴」という言葉を使われているのだと思います。桜と言えばアメリカシロヒ トリ(毛虫)。毛虫は怖いです。桜だって毛虫が怖いに違いない。わたしが桜の木なら、やがてウゾウ ゾと出てくるだろう毛虫を想像してしまうと、「やめてくれ〜〜〜」と叫びたくなるだろうと思います 。ムンクの叫びのような表情を浮かべる桜の木。さくらの花がひらくのも、「悲鳴のごとく」ですから ね。「キヤ〜」「ぎょえ〜」などと言いながらひらく桜を想像してしまいました。面白い発想だと思い ます。下の句の「悲鳴のごとくさくらひらけり」も良いと思います。 ただ、上の句が気になります。まず「ねむらせて」というところが、しっくり こないです。それと、幼虫は根の際に眠っているのですか?アメリカシロヒトリをネットで調べると、 「年2回(一部3回)の発生で卵で越冬し、幼虫は5〜7月と8〜9月に出現します。」という記述を 見つけました。また、我が家の電子辞書の百科事典では「サナギで越冬します」とも書かれていて、ほ んとうのところが分かりません。勝手にアメリカシロヒトリの幼虫と決めつけてしまって恐縮ですが、 どうも、その辺のところが気になってしまったのです。(ほにゃらか) さくらは庭木にするものではない、という人がいました。さくらは金気を嫌うので挟みで、切ると樹勢が弱るそうです。 手入れが大変な割りに花の時期が短いからだそうです。そこで、調べてみると植物にも天敵がいること知りました。 病害虫の駆除…葉を食害するオビカレハ(ウメケムシ)は晩春にクモの巣状の テントを張り、昼間は幼虫がその中にかたまっているので捕殺します。9月ごろ発生する モンクロシャチホコの幼虫は初期にDPE剤などの薬剤を散布して駆除します。 (mohyo) 桜の根の下に卵を産み付ける虫もいないようですが、イメージとしてはすごく面白い広がりを持てる出だしだと感じました。 満開から散り際、その後の桜の木の様子まで鮮やかにイメージさせています。 それを満開の花の悲鳴に回帰させている点が秀逸です。「桜の木の下に埋まる死体」のイメージを 上手に活かされたと思いました。(象) 桜の禍々しさを上手く詠んだ歌だと思う。死体とかではなく、幼虫というの がいい。おそらくは具体的な虫の幼虫ではなく(最初は毛虫か蝉か迷ったけれど)、 幼虫という言葉の持つ蠢きそのものと解釈すればいいのではないだろうか。ものの 命が躍動する春。命には生き生きとした明朗な部分と蠢きのような暗部が両立してい るように思う。その暗部に突き動かされるように、その蠢きに命を吸い取られるがゆ えに花は開くと言いたげな感じがして面白いと思った。(黒田康之) さくらには一種独特の狂気があると言われることがあります。この歌から坂口 安吾の「櫻の森の満開の下」のストーリーを思い起こしました。 坂口はさくらの下はなぜか怖いものと書き出しています。作者もそんな発想で 読まれたのでは?満開のさくらの下に行くとなぜか美女も鬼婆と化した怖い世 界。なのにさくらは雪のようにはらはらとその上に散り積もるのです。 そこには孤独と言う言葉が残されました。 そこで、幼虫と悲鳴のつながりが今一、分かりづらいのでこうしたらいかがでしょう。 根のきわにあまた「孤独」をねむらせて悲鳴のごとくさくらひらけり (岡崎ウッチー) 古今、桜は狂気のメタファーとて詠われてきましたが、上句の詠みが面白く、 擬人化された桜の叫びに実在感を与えています。無論、これは心象風景、 即ち観念的な描写なのです。(菊池裕) 38 蒼空はまさに開きぬ 早咲きの危ふき桜一本(ひともと)のため 「蒼空はまさに開きぬ」が、ああ、なんてぱーぁっと明るく壮大で気持ちいい んだろうと思いました。 それを受ける下の句がちょっと小さく収まってしまったかなぁ、というような 気がするのですが。 (萱野芙蓉) 「桜(花)」のお題で、「蒼空はまさに開きぬ」という逆転の発想、見立てが 見事(僕なら、「蒼空」は「蒼穹」とします)。詠い出しとしてもすばらしく、 一字空け無しで読み下したい一首です。ただ、「危ふき桜」というのがよく わからない。また、たとえ「危ふき」でなくても、ここに形容詞を持ってくる のは作者の思いが前面に出過ぎて逆効果では。単に、桜の名称(河津桜である とか)や咲いている場所を具体的に提示するだけの方が凛と引き締まった作品 になるように思いました。(伊波虎英) 「蒼空はまさに開きぬ」は、曇り空が割れて蒼い空があらわれたその時のこと だと思いました。一本の桜のために空が開いたととらえる感覚に好感が持てます。 「危ふき」という言葉がこの短歌の世界を小さくしているように感じました。 (やすまる) 早咲きの桜を見守っている作者の感情が読む私にも伝わりよかったと思いました。 一匹の迷える子羊を探しにいった羊飼いのお話も思い出し心なごみました。 (mohyo) スケールの大きさは感じます。が、皆様と同じように。『危うき」が瑕になっ ているように思えます。(村田馨) 「蒼空はまさに開きぬ」の表現はすばらしいと思いました。ただ、「危ふき桜」の 意味がよくわからなかったです。(瑞紀) 早咲きの桜のために蒼空がひらくという発想は感動的。文体 に少し違和を感じますが作者の個性でしょう。(服部文子) 39 春来ればきみへ手向けは桜花あくがれて過ぐ未来もあらん 当初から気にはなっていたけれど、、、という作品。 何となく気持ちは分かる。しかし、文法のちぐはぐさが理解を阻止している。 「あくがれて過ぐ未来」は、むしろ推敲し過ぎた痕跡が見える気がするのだけ れど・・・(誰鬼) 手向けに桜花ですから、きっと花見に行ったり桜の思い出があったのでしょうか。 「あくがれて過ぐ未来もあらむ」ですが、意味がよく理解できません。 将来は落ち着いて懐かしむことができるわたしかも知れない、という意味かと一読思いましたが、 よく読むとわからない。 (mohyo) 40 香りなき櫻靜かに咲く夜を赤き鳥居のややに傾く 「櫻」「靜」旧字体の持つ魔力を蔵している歌です。 やや傾いている鳥居、ですから十分な補修のされていない、ひと気 もなく寂れた神社なのでしょう。その境内に咲く櫻には香りがない、 と詠っているところに、現実のというよりはあの世との境目に仄白 く立っているような凄味を感じます。この櫻には確かに妖気が漂っ ています。 ただ、おそらくPCでは変換しきれなかったのだろうと思うのですが、 できることなら徹底して全ての漢字を旧字体で表記していただきた かったです。(寺川育世) 上句の静謐を、下句がややもすればエロティックに受ける。 全部ひらかなにして=音読して、非常にしっくり落ち着いた一首。 なので、「櫻」か「靜」のどちらかを仮名にして欲しかった。(誰鬼) 「赤い鳥居が傾いている」少し寂れた感じが 桜の美しさを際立たせています。エロティックとまでは 思いませんが、上品な官能があります。(大屋邦子) 「櫻、静」この漢字から妖気が立ち昇るようです。無臭、静謐、傾いた赤い鳥居、凄みがあります。 初句を旧字体、まさに表意文字を屹然と並べられてますね。作者はわざと固い漢字を並べ、あとをすーっと、落としてられる。 この短歌自体が、傾きを印象づけています。この歌のアンバランスが、当に傾いた鳥居そのもののような気がします。 (みずき) とにかく下の句にひかれました。実際に傾いているのか、作者の心象風景とし て傾いているのかはわかりませんが、その危うさのようなものを強く感じました。 それだけに上の句の香りなく靜かな櫻の咲き方が多少もの足りなくも感じまし た。鮮烈な色と存在感を持つ鳥居が「やや」にではあっても傾くというのには、 ちょっと清浄すぎる咲き方というか。でも、とても好きなお歌です。 (萱野芙蓉) うまくまとめられている歌なのですが、ちょっと理窟っぽいかなと思いました。 「香りなき櫻」と「香りなく櫻」が咲くのとは少し違うし、そういう少し観念 的な感 じの把握が気になります。 この歌、上句の櫻のほうに重点があるのか、下句の「赤き鳥居」のほうに重点 があるのか、なんとなく中途半端な感じが惜しいと思います。 (春畑茜) 綺麗な歌です。この歌を読んで、桜には香りがないということを改めて思いました。 櫻と靜の字が詰まっているようなので、このどちらかがかなでも良かったかもしれません。(近藤かすみ) 桜の花の下にいても香りは気になりません。無いのかなと思うのですがさくら の香りをほとんどの方は知っています。この季節桜の花が和菓子やゼリーに使われてい ます。和菓子の道明寺は桜の葉で包まれています。その香りはこの季節ならではのも のです。 咲いている桜の香りは微かですが香りを出す工夫をむかしからしてきたのでし ょうね。 今、季節に合わせて桜の入浴剤を使っています。赤き鳥居が傾いているという のはお稲荷さんか何かの小さな鳥居でしょうか。傾いているのが大きい鳥居だと危険すぎ ます。赤い鳥居が傾いているというのは強い印象をうけます。香りなき櫻もひきつけるもの があります。どちらか一つにしたらもっとインパクトのある作品になったと感じました。 むかし刑場だった場所にお稲荷さんがありその鳥居は低く小さく少し傾いていたのが整備された りしたのを思い出しました。(mohyo) 情景がまざまざと脳裡に浮かんできます。情景として詠まれた歌とは思えませんが、 今回の歌会の中でも情景を連想させる歌として抜群です。作者の桜に対する思いは「香りなき」と表現されるように、 決して浮かれずまた酔わず、むしろ鎮魂と言ってよい系譜につながっているように感じます。その静けさを読み手に見事に伝えています。(象) 迫力のある作品です。旧字体の演出機能もでています。ややにの「に」が不自 然に思いました。語数合わせと思われてしまっては失敗。別のことばを見つけて欲しいと思います。 (村田馨) 41 口紅(ルージュ)のみその唇に触れさせる人と黙せり満開のした 淡いロマンスを感じます。 男性(作中主体?)の唇ではなく、口紅としか唇を触れることのない女性。 その理由は、女性の貞操感が強いのか、奥手なのか、それとも横の男性に興味がないのか、またはプラトニックでいたいのか・・・・・・。 そして、満開の桜の下で沈黙する二人。 読者の想像を掻き立てます。 (るか) 口紅(ルージュ)のみその唇に触れさせるというのは男性の発想かな、と思いました。 リンゴをかじる、ティッシュで拭く、スープを飲む。 女性は口紅だけ触れさせるわけではありませんから。この歌の上の句の気づきが メインの歌だとおもうのですが、唇に触れさせるというのがなめらかに心に入ってこないのです。 「人と黙せり満開のした」では、桜ではなく、彼女の唇を盗み見ている男性のときめきかもしれませんが、 今流行の電車男のような・・・・・・。これは、上の句の影響が私をそういう感じにしてしまうのです。 (mohyo) 成熟とは清純の対極であると決め付けてはいけない。また恋は多弁にして始 まるわけではない。何もしないし何も語らない成熟と貞節を併せ持った大人の色気を 感じた。 また、さほどにルージュのみと感じさせるような唇とはどのようなものかと も想像した。山口百恵の往年の名曲のような感じだ。「色」を「匂い」に置き換える あの歌のように、形ではなく緊張の関係そのものなのだろうと思った。純潔を守った まま成熟するといったイメージが失われている昨今だからかもしれないが、鮮やかな 感じがした。(黒田康之) ものを食べたり飲んだりするときは唇に触れるだろ、というツッコミは置いておいて 一途な女性と黙って満開の桜の下に居る、という場面だけで絵になりますね。(村田馨) 42 花の下NOVAして学ぶ英会話 下心には勝る師はなし 花よりも団子、というよりは、花よりも女子(おなご)という心境なのだろうか。桜の木の下でNOVAの英会話レッスンをやっているが、 「鼻の下を伸ばして」同じレッスンを受けている女性に見蕩れているのだろう。いや、その女性がいるがゆえに、英会話レッスンを受けているのかもしれない。 英会話の「師」と、人生の「師」を掛けているのも面白い。機知の歌だが、好感できる。 (るか) なるほどねぇ。NOVAが駅の近くにあるのも、これでなんとなく(ナンパに便利)合点がいった。 花の下NOVAして(鼻の下伸ばして)・・・しかし馬鹿ですねぇ。こんなこと思いつく人は。しかも短歌にしちゃうなんて。この手のナンセンス作品は、飛躍とひねりと着地と、なにより捨て身の覚悟が重要な要件となるところだが、最後を手堅くまとめてなかなかの出来映えとみた。(倉益敬) よく考えてみれば「し」音を多用して、音感の統一も図っていますね。(るか) 美人の先生のいるN0VAで英会話を習っている。先生が美人だからレッスンに も身が入る。という歌だろうと読みました。花と鼻、伸ばすとNOVAするが掛詞ににな っていて楽しい。しの音も楽しんでいる。下心というのもワクワクします。言葉を操 り、軽い乗りで一首を仕上げていて、花見の浮かれ気分の折、こういう趣向もありで すね。(長谷川径子) 「下心には勝る師はなし」で、利休訓のような教えを575でいうキャッチコピーであって、 短歌という感じでは受け取れませんでした。 ピロートークが一番だと英会話の先生にお聞きしたことがありました。お客を呼ぶマガジンの書き方 でも、日本語は57調とか75調でリズム感がでるので引っ張ることができる、と聞いたことがあります。 57577であれば即短歌ではないように思っていたのでショックでした。 (mohyo) 「鼻の下を伸ばす=花の下(茎)が長い=チューリップ」というトンチが昔あっ たけど、今はもう死語の世界なのかなぁ? 習い事のキッカケは何でも良いけれど。。。(誰鬼) 面白いけれど、NOVAというのは英会話教室だよね。花見しながら授業するわ けはないので上句は単に「鼻」におきかえただけの「花」となり、詠題をクリア しているのか疑問。「下」が二つもあるとちょっと「下」品か。(大塚寅彦) 駄洒落ですか?形而下のカリカチュアとそのギミックは括目。今回の詠草の中で一番、 自由度が高かったので採りました。もっと遊んでもよかったのでは?(菊池裕) |